2011年3月16日水曜日

均しく見る

內田百閒の「東京焼盡」を読む。これは、太平洋戦争末期、東京に初めて空襲警報が出された日から東京大空襲を経て終戦の詔勅まで、約300日の日記である。何もこの時期に読まなくてもとも思うが、悲観的になって選んだわけではない。

配給に一喜一憂し、何百機と来襲する爆撃機に身を竦ませる。家が焼けてしまう。置いてきた家財道具を惜しむ、等々の描写が淡々と記述されている。他者が自分達を憎しみを持って殺しにやって来るという極限の恐怖の中で、筆遣いを変えることなく描写し続けた胆力と、精神力には恐れ入る。家が焼けてしまったら普通、ものを書く心境にはなれないだろうに・・・。

彼はB29の腹に映る炎の色を美しくも思う。酒を飲んで手を打ち、四谷駅のツバメの雛を慈しむ。善悪、美醜、哀楽を均しく語り続ける。その目線は、もはやユーモアとなってこの物語を包み込み、戯曲のように時代を生き生きと奏でている。

一人の作家の営みに敬意と希望を持って読んでいる。どんなときでも、すべきことは同じだ。

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